2018年は、通常業務のほか「不動産」と「相続」周りについて、税金はもとよりいろんな事でクライアントのお役に立っていきたいなと考えています。
昨年末から「税理士と不動産のプロ達による不動産相続のヒソヒソ話」というブログも始めました!
出身地 | 大阪市平野区 |
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生年月日 | 1982年4月3日 |
出身校 | 大阪教育大学附属平野高校〜大阪市立大学 |
経歴 | 大学2年生の秋ころから税理士受験としてはマイナーなLECで、しかもビデオ講義にて税理士試験の勉強を開始。 大学でボクシング部の主将をしていたので、クラブと専門学校を往復するような生活を送る。 |
子供の頃はどんな子どもでしたか?
財布を首からぶら下げてお小遣いをもらっては数えていました。
お金を数えるのが大好きだった(笑)また、とにかくしゃべりでしたね。
「ちょっと一服しなさい。」と言われるくらいしゃべっていて、人を笑わせるのが快感でした。
なぜ税理士になったんですか?
うちは、親戚に医者やら歯医者やらが多く、小さなころから漠然と何か資格をもって将来は独立して働けるような仕事をしたいと考えていました。
父親は祖父の代から続く紡績関係の仕事をしていたのですが、知り合いの税理士の助言によって介護事業を始めたんです。
ちょうど繊維業なんかは厳しい時代になってきていた時だったと思いますので、その税理士さんのアドバイスも的確で父親も先見の明があったと思います。
そんなことも聞いていたので、当時まだ小学生くらいでしたが、何となく税理士という仕事に魅力を感じていたのだと思います。
税理士なっての挫折は?
前の職場はとにかくお客様に関することほぼ一人でこなさないといけなくて、あまり連携とか協力といったことがなかったので、完全に自分との戦いでした(笑)
そんな時しょっちゅう「自分て弱いな〜」と感じさせられました。
特に仕事と試験を両立させないといけなかったとき、2回法人税法の試験に落ちたのですが本当に心が折れそうになりました。
その挫折からどうやって復活しましたか?
やっぱりお客さんですね。
担当していたお客さんの社長さんがみんないい人で、励ましてくれていました。
がんばれっていいながら、飲みに連れて行ってくれる(笑)
酒を飲んだ帰りでも法人税法の理論集を読んでいたこともありました。
3度目の受験の時には子供もできていましたからそれは必死のぱっちで勉強して受かりました。
そのときの苦労があるから今は少々忙しくても、苦しくても心が折れなくなりました。
セルボクレールでの夢は?
大きな事務所にしたいという思いはずっと持っていました。
いまの最大手といわれる税理士法人さんと肩を並べたいなと。
今でもそれも思ってますけど、せっかくなら、他の事務所じゃやらないようなこと、できないようなことをして、「変わった」「おもしろい」事務所にしていきたいなと考えるようにもなってきました。
それで結果的に規模も大きくなれればいいですね。
自分自身も仕事を通してもっと立派な人間になりたいですし、一緒に働く人間皆が切磋琢磨して仕事の面でも人間的にも成長できる場にしたいなと思います。
本人が気づいていなさそうな癖は?
わからんなあ・・・。強いて言えばいつも前のめりな所かなぁ。
ここはかなわないという凄いところ
大学でボクシング(真っ向勝負のファイタースタイル)をやっていたこともあり、粘りと忍耐力は人並みはずれたところがあります。
また、クライアントのためなら、いい意味でなんでもやっちゃうところは正直凄いなと関心しています。
弱点は?
あんまり多くは言えませんが、非常に涙もろいところです。(けど最近は見てないなぁ。大人になったんかな。)
ホント根がいい奴なんでしょうね。
秘密をひとつ暴露してください。
僕はなんでも隠し立てなくしゃべっちゃうので特に隠していることは今のところないですね。
あなたにとって相手はどんな存在?
自分にないものを兼ね備えている最高のパートナーだと思います。
お互いの強みがバッティングしていないので、事務所としても非常に幅の広いサービスが提供できると思います。